「知性」 3月号 河出書房 1942年
アメリカの化學の性格
飯盛武夫
 丁度昨年の今頃、アメリカが我々にとつてもはや遅かれ早かれ戰いを交へねばならない敵として映じた時、アメリカの正體といふものがあらゆる方面から打診され、新聞雑誌を賑はした。科學もその選に洩れず、彼等の科學は進歩して居り、實用化技術とよく結び付いて居り、然も民衆の科學的水準は施設の充實と相俟つて我が國よりも相當に高いといふ結論が下された。彼等の科學に我我の科學が速急に打勝つためには、科學者の一方ならぬ努力と、私とを捨てた完全なる協力が必要であらうと多くの人々から力説された。そして容易ならぬ敵に對ふ覺悟が要望された。我々の前途の模糊としてしつかり見極め得ない憂を抱いた人も少なくなかつたやうである。然るに、戰が始まるや、緒戰の赫々たる戰勝による有利なる作戰態勢に、我が軍無敵なりとの信念の確保のみならず資源獲得の有望を期待させ、我々の前途に無限の光明を與へた。この今日に於て、我々に尚關心事として殘るのは、アメリカの捲土重來が如何に行はれるかといふ點であらう。斯く見れば、アメリカの科學の再検討も決して無駄とは思はれない。

 凡そ一國の科學の水準なり傾向なりを論ずるには、先ず、その傳統と,獨創性と、研究闘志に着目すべきであらう。この點から彼等の近年の業績を眺めて見よう。

 現代物理學の尖端、原子核物理學は前世紀終期に於ける放射能の發見を發端としてゐる。この現象の研究はフランスで始められ、主としてイギリスで大成された。その結果、元素は不變不壊でなく、變化するものもあるものだといふ觀念が齎らされた。この觀念を、どの元素も變わり得るものだと迄擴張させたのは近年の人工放射能の發見である。これも又フランスで發見された。然し最も多くの研究はアメリカでなされた。これは原子破壊の最大の利器たるサイクロトロンが發明されたからである。そして、原子核物理學に關する限りアメリカ物理學会の機關誌だけ讀めば殆どよいといふやうな形勢になつて來た。この機關誌が第一巻を世に出したのは1894年であり、その數年後にラヂウムが發見され、放射能に關する研究が歐州の物理雑誌に盛にされたに反し、アメリカのこの雑誌には殆ど見當たらない。これから考へると彼等の傳統が未だ短いのはよく分かる。

 一方、その獨創性を求めてみると、サイクロトロンを除くと殆ど無くなるのに氣が付く。燐や窒素等に人工的に放射能を賦與させることが出來るといふこれ等の現象の發端はフランスの發見であり、又ウランやトリウムのやうな重い原子は二つに分裂して、例へば錫とモリブデンといつたやうな二種の原子が出來るといふ破天荒な着想はドイツの發見である。無論、研究であるからには大なり小なりの獨創性を含んでゐる譯であるが、アメリカに現れたものは現在迄、現象自體の研究に於ける限り、これ等のやうな胸のすくやうな獨創性は見られてゐない。これに反しサイクロトロンの如き装置を作ることに於ては極めて獨創性を示してゐる。この例は■■に止まらないやうである。要するに、現象の解釋に破天荒な着想で美事に片付けるといふやうな方面には大して獨創性が見られないが、見えてゐる目的に至る道を求めるのに獨創的な巧妙さを見せるといふべきであらう。

 別の方面を見ると、例へば加州大學(注)で行はれた植物同化作用機作の研究は、極めて獨創的な結論へ到達した。即ち人工放射性炭素を用ひて、炭酸ガスが植物に摂取され如何にして糖になるかを研究し、絶對的に光が必要といふ従來の考を覆し、第一段として光なしで炭酸ガスが取られるのを觀察した。そして新しい説を立てた、この説は尚確證されていないから論じないこととして、この研究中で見るべきものは、植物の同化作用の如き難問題に向かつて行つた勇気であらう。實驗の經路自體にはそれ程の獨創性も入つてゐないが、結局獨創的な結果を得たのは殆どこの勇気の賜物である。(注)加州大學とはカリフォルニア大学のこと

 又例へば、昨夏我が近海を通りウラジオに運ばれ、我々を憤慨させた航空燃料の製造はアメリカで研究され、盛に製造されてゐる。この航空燃料の製造にはネオヘキサン、イソオクタン等の正體の判つた炭化水素を合成する方法と、フードレイ式接觸分解法とがある。前者は、定つた目標に如何にして到達するかの研究である。これは巧妙に成し遂げられたが、面白いのは後者の方法であつて、到底、飛行機には使へない低級な原油を觸媒の作用によつて分解するとオクタン價92位の高級航空燃料が出來るのである。所が實はフードレイはフランス人で、フランスで研究されアメリカで完成されたのである。これは全く、フランス人の着想の獨創にアメリカの工業化技術との聯携といつてもよかろう。實際は日本でも以前から同様な研究が、特有の豊富低廉な觸媒を用ひて研究されて居つたのが、工業化が遅れてゐた爲、フードレイ法と呼ばれる様になつたのは殘念であるが、ルーズベルトの對外禁輸はこの方法に重點を置いてゐるらしいのは氣の毒だが的外れといふことになる。

 この外、一つ一つ取り上げて見ると、アメリカの科學は新しい傳統を作りつゝあり、その研究は巧妙なものも多いが、全然他と隔絶しても進んで行ける位の獨創性の現れはあまり見えないといへよう。只彼等はしばしば難問題に向ふ勇気を示すが、これは一つには人間の數が非常に多いことに起因するのかも知れない。  一つ注意しなければならないのは、近年歐州から多くの科學者技術家が流れ込んで居り、この中には第一流人物が少なくない、これ等の人々が、歐州の傳統を如何にアメリカへ植付けるであらうかといふことである。獨創性といひ、研究闘志といひ、屡々指導者により、呼び起され拍車を掛けられるものである。もし従前の如きアメリカならば數年間で相當の結果が表れさうににも思へる。併し、今後は、従來の世界を我が物とするが如き國家の勢に乗じてゐたのに反し、單なる米洲の一大國に轉落して行くことの豫想される状態に於て、果たしてどうなるかは頗る興味あることであらう。