スミソニアン博物館に埋もれていた意外な資料
私たちが飯盛里安の記事を作成するに当たり、資料を収集する段階で素性の分からない鉱物の標本が数点見つかりました。 ラベルにはPyrochlore isometric,Ellsworthite isometric,Hatchettlite tantalo-niobate of U,Labradoriteなどの表示 があります。netを検索すると、北米大陸で産出するようですが、鉱物に関して素人にはこれ以上のことは分かりません。 Wikipediaに書いてあるとおり、「飯盛コレクション」と呼ばれていた鉱物標本はすべて寄贈されているので、なぜこの標 本が残っているのか、関係者はすべて故人になっているので、誰にも事情を聞くことができませんでした。 調べていくうち、次のような記録が見つかりました。

「たまたま昭和15月10月米国ボストンで開催の第一回応用原子核物理会議に招待された。しかし多忙のために行けなかった 私の代理として飯盛武夫、矢崎為一、渡辺慧の3氏が列席した。その際前記水晶山産の含ウラン諸鉱物の一揃をワシントン の国立博物館 (スミソニアン博物館) に寄贈したところ、それと交換に多数のカナダ産稀元素鉱物の譲与を受けた。この標 本はわが国の稀元素鉱物研究の上にも大いに役立ったのである」 飯盛里安「稀元素の想い出」学術月報 Vol. 26, No.5, p.345 (1973)

問題の標本の一部
これ等の標本はもしかして、この時に受け取った物の一部である可能性が考えられました。そこでスミソニアン博物館に問 い合わせてみることになりました。Visitor Serviceにメールをしたら二つの問い合わせ先を紹介してくれました。一つは Collection Manager (Minerals),Division of Mineralogy,National Museum of Natural History (Smithsonian Institutiton) もう一つはSmithonian Institute Archivesです。一つ目の方からは、「鉱物の参照番号が無 いと調べられない」という返事が来ましたが、二つ目の方はAssistant Archivistが質問に興味を持って調べてくれたのです。 その結果次のような返事が来ました。

「問い合わせの標本が当時の物かどうかは記録が無いので分からないが、このような記録があったので送ります」 とのことで、送ってきたのが以下のファイルです。 内容は、1931年から1940年にかけて、飯盛里安とスミソニアン博物館との間でやりとりされていた鉱物標本に関する送り状、 受取書、連絡やお礼の手紙などです。理研は戦災に遭っていたので戦前の記録類はほとんどありません。これ等の記録類も もちろん理研には無かったものです。科学史的に大変意義があるものなのでスミソニアン博物館の許可を得て公表すること にしました。

Iimori Accession 117397 072 の最初の文書は飯盛がスミソニアン博物館に送った標本の受け取りメモです。その中に Fagmentary specimens of the mineral nagatelite という記述があります。ここで云うnagatelite とは長手石のことです。長手石は1930年に飯盛と共同研究者が石川県の長手島で発見した新鉱物です。発見当初から希産で、近世になってからはまったく発見されていません。そのため”まぼろしの鉱物”と呼ばれている大変貴重な鉱物です。飯盛はアメリカの鉱物学者から長手石の標本を所望されましたが「手持ちのものは研究でほとんど使ってしまった。再度採りに行くのはむづかしい」と返答しているので、スミソニアンに送ったのは研究の残りの小片と思われます。その小片がその後どうなったか考えると興味は尽きません。

最終の手紙の日付は1941年ですが、この年は日米開戦の年です。そのような時期でも科学者同士は友好的な関係にあったこ とは興味深いことです。
(注)スミソニアン博物館と云うのは通称であって、その実態は19の国立博物館と9つのリサーチセンターからなる巨大な連合体で、それ等を統括する本部がSmithsonian Institutitonと呼ばれる。

Iimori Accession 117397 072.pdf

Iimori Accession 157546 071.pdf


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